稲刈りに思う、作業の効率化と私の体力

稲刈りに思う、作業の効率化と私の体力

2020 9/22秋分の日 稲刈り吉日。

 お日様も味方してくれました。なんという稲刈り日和。
今年の稲刈りは普段、運動らしいことをまるでしていない私にとってどうやったら効率的に動けるかということについて考える1日となった。
それはつまり余分な動きに体力を使っていられるほどの体力が今の私には無いと言うことの現れであり、効率的に動くっておもしろいなと思えたのでそれを書いてみます。

 今日の目標は四枚ある田んぼのうちの一番大きい田んぼと中くらいの田んぼも刈ってしまいたい
 4月の種まきから9月までの約半年をかけて豊かに実ってくれた稲穂を収穫。無事にここまで実ってくれた稲穂たちに感謝。
大きい田んぼ(50mプールくらいの広さ)のどこに稲木を立てるのが動線的に考えて効率がよい?どうしたら効率よく動けて、
元気なうちに作業が終えられるか考える
(田植えが終わったら、おじいちゃん家で留守番している子らを迎えにいくので元気を多少残しておきたい)。

今日のメンバーは夫、私と稲刈りバインダー氏の二人と一台。
体力を無駄に消耗せずに動くには同じ動きはまとめていっぺんにやってしまいたい。これが私の思う効率向上。

刈るならひたすら刈る。by稲刈りバインダー
稲束をしばるならひたすらしばる。
稲束を集めるならひたすら集める。
干すならひたすら干す。

これもやらなくちゃ、ああ、あれもこれもだー!あっちこっち!と脳が田んぼを行ったり来たりするのは割といろいろ消耗しますわな。
”ひたすら”は一つの動きに集中できるからなんだか脳が安心する気がする。体力温存。

途中で違う動きをいれるのはイヤ、消耗する。50mプールの広さの田んぼを体も脳も行ったり来たりするのは地味に確実に疲れる。効率的に動く為の計画を立てることのために脳はあって、それが済んだらあとは脳にはリラックスしていて欲しい。

どうやって動こうか考えて段取りして作業していくことって割と楽しいと今頃になって気づく私。(それまでの行き当たりばったりぷりときたら。)ひとつの作業の繰り返しの中にも学びや、リズムがあって、その発見や習得はなかなかどうしてたまらないものがある。

例えば、私の場合、稲束は十束を抱えるのが私の適量と知る。たくさん持てたらそれの方がいいけれど抱えてから移動しつらい量は持ちすぎだし、一輪車で運搬するのもよかったけど結局欲張ってたくさん積んでしまって道中田んぼにぶちまけてしまうのがストレスになったので十束ずつ手持ちするのがベスト。干し場の稲木前に集めるのも置く場所によって次の作業がやりやすい場所とちょっとどうなの?な場所がある。稲木に近すぎると私が稲木前に立てなくて干す段になったときに窮屈でまるで動きつらい。結局全部ずらさなくてはいけないし、遠いと稲木にまた掛けつらい。稲を集めて置いておくほどよい距離の場所の見極め重要。などなど。

何をそんなことわざわざ書き連ねてさ。となるかもしれない。できる人は最初からやっているだろうし、たいしたこと書いてないのもなんとなくわかる。だけど、こういうことがなんだか面白くって。私はいままでこういう効率的に動くことに重きを置いてなかったんだなと思う。でも体力がついてこなくなってきて、子供らに向かう体力を温存しておくことも私の役割となった今、効率的に動くの意味が私の中で重要度が増してきた。効率よく自分が動く、動けるって、機嫌良く丁寧に仕事できると同一線上にあるんだな。これから私の暮らしに効率が導入されて、ご機嫌で丁寧な暮らしが実現していくことでしょう(さあ有言実行だ)そしてもう少し体力もついてくるときっととてもよいでしょう。そんなことを思った2020年の稲刈りの1日でした。

我が家の稲刈りはまだまだ続きます

皆さんもたのしいおいしい秋を引き続きエンジョイしてくださいね。

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