冬至を過ぎて

冬至を過ぎて

 

冬至が過ぎて器つくりを再開したくてうずうずしている私がいる。6月、工房を出ることになったときはもう陶芸はやらない!
なんて考えていたけど、、、。多分、私がいままでやっていた“これが陶芸”はもうやらないだろうけど
自分の表現として器を作る、粘土をこねるはまだしっかり自分の中に居座っていた。
極寒だけど六畳間と玄関でできることから始めよう。

さて私はこれから神様に届ける作品を作っていこう。
私の中の神様と私の作ったものを使ってくれる人の中にいる神様、もっとおおきく宇宙の中の神様へ

 

つい先日、昔の手帳が出てきてパラパラめくっていたら
何かそのとき読んでいた本の気になった箇所のメモのようなものがでてきて
ハ!とした。

そこには

なぜ昔のものによいものが多いのか、それは昔の人は神様のためにものを作っていた。日本でいう鎌倉時代あたりから人は人のためにものを作るようになった。

うんぬん 

 

どこの出典かもわからない走り書きだったけれど 

ああ 本当にそうね。
鎌倉時代からとかっていうのはその文章を書いた人の主観だろうからさておき、今だってきっと少なからぬ人が意識しようとしまいと神様に向かって作っているだろうし、神様によって作らされている、表現しているのだろう。

そして今新しく工房での製作を始めようとしている私に、私はどうしたい?と尋ねたとき、人の中の神様に届けるような作品つくりをしたいと返答があった。

では新しい工房ではそのような仕事をしていこうじゃないか。

 

特に特定の信仰心があるわけではないけれど、この宇宙が今、私を存在させてくれていることがありがたいなー、神様すごいな、大好き!と思うことをエネルギーに私は表現をして、そしてそれをまた宇宙の神様のもとにお届けできたらよい循環だなとそう思うのでそのようにしていみようとワクワクしています。

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